心筋梗塞。
みなさんにとって、”死ぬかもしれない恐ろしい心臓病”というイメージがあると思います。
全くその通りです。
現代医学をもってしても、いまだに死因の上位に来る恐ろしい病気です。
しかし、危険な病気には違いないのですが珍しい病気ではありません。
循環器内科医にとっては週に数回は救急車で運ばれてくる、よくある病気です。
一昔前までは発症すれば3、4割の人が亡くなる怖い病気でしたが、
ここ30年ほどで治療技術が急速にレベルアップし、
早く病院にたどり着けば高い確率で治療が成功するようになりました。
危険な心臓病だけど、条件が揃えば助けられる。
それが心筋梗塞です。
あの日、ひどい胸痛で救急車で運ばれて来た山田さんはまだ50代の働き盛りのお父さんでした。
一通り検査をして、病名は心筋梗塞。
いつもと同じように型通りの処置を終えて、
これから心臓カテーテル室に向かいますとご家族に説明した直後、山田さんの容態が急変したのです。
急変の原因は心臓破裂でした。
隣にいた私は数秒も置かずに救命処置を開始しましたが、
山田さんを助けることはできませんでした。
50代の働き盛りのお父さんを、助けられませんでした。
“ご冥福をお祈りします”と死亡確認したときに
泣き崩れた奥さんとお子さんたちのことを、今でも覚えています。
誤解のないように言っときますが、
ただ単に”助けられなかったことが悲しい”なんて感傷じゃありません。
人はいつか必ず死ぬ。
それは医者なら誰だって覚悟していることです。
それまでだって何人も何十人も看取ってきました。
同じように心筋梗塞による突然の別離もあれば、
末期がんで自宅療養のはてに家族みんなに看取られたお年寄りの安らかな最期も。
だけどあのとき、
「おいおい、一週間前まで元気だったお父さんがなんで今日ここで死ななきゃならねーの??」
と、私が山田さんの死に納得できなかったのは
「本当に人事を尽くした医療はできたのか?」
と疑問に思ったからです。
もちろん大学病院に運ばれて来たわけですから、
救命措置も含めて”病院に着いてから”は手を尽くしてます。
でも山田さんは数日前から何回も胸痛を自覚していたそうですし、
さらに心筋梗塞の危険因子である糖尿病や高血圧、高コレステロール血症を、10年前から健診で指摘され続けていました(でも未治療でした)。
もし私が山田さんの家族だったら、はじめから糖尿病などの治療をさせただろうし、
心筋梗塞を疑う症状が出たらすぐに病院に連れて行ったでしょう。
医者ならあんなの誰だってわかるんです。
典型的な不安定狭心症からの心筋梗塞のパターンだなって。
つまり”後手を踏まなければ助けられたはずの命”です。
別にiPS細胞が必要な難病ってわけでもない、ありふれた心筋梗塞です。
なのに助けられなかった。
「もっと早く病院に来てくれれば助けられたかもしれません」
しばしば医者がいうセリフです。
じゃあ死んだのは、健診で指摘されたのに治療しなかった患者のせいなのかと。
症状が出て、すぐ病院に連れてこなかった家族のせいなのかと。
んなわきゃないでしょう。
糖尿病も高血圧も高コレステロール血症も、別に痛くも痒くもないんです、本人的には。
1年に1回の職場健診で、
「今年も数値が高いですね。食事や運動など生活習慣に気をつけてください」
なんて言われただけじゃ、忙しくてマジメな日本人サラリーマンが仕事を休んで病院行くわきゃないでしょう。
「動脈硬化がすすむと心筋梗塞や脳卒中の危険が高まりますよ」
なんてサラリと言われたところで、”リアルに死ぬ現実”を想像できるわけないと思うのです。
山田さんは、現代医学のテクノロジーが早く十分に活用されていれば助かったはずです。
助かるはずの病気で死なせるなんて、本当に腹立たしいです。
「人としてできる限りのことを実行する」
というのが人事を尽くすという意味です。
たしかに病院に着いてからは、やれることやったんだろうけど、
それだけで本当に人事をつくした医療って言えるのだろうか。
病院に着いてから治療をはじめたってところが、すでに後手に回ってるのではないかと。
「こんちくしょう、本当の意味で人事を尽くした医療ってなんなんだ?」
という私の憤りが、ぶっちゃけVitalyの出発点なのです。